理不尽な怒りを抱えつつ、どう生きていくのか?
こんにちは。
ようやく梅雨明けでしょうか?
暑くなりましたね。
今日も駅にはリュックを背負った親子が
たくさんいらっしゃいました。
どこかお出かけされるんでしょうかね。
素敵な夏休みにして欲しいものですね。
夏休みといえば、私の中では
最近はジブリにハマっております。
夏になるとテレビなんかでも
ジブリ映画が毎週流れるじゃないですか?
あれが結構楽しみなんです。
仕事終わりの癒しの時間ですね。
先日はもののけ姫、やっていましたね。
アシタカヒコ、大好きです。
ヤックルも可愛いし。
馬じゃないのが、また良いですよね。
あの映画を見ると、考えさせられることが多く
大人になればなるほど、考えさせられることが
多くなるんですよね。
私も20代の頃は、人の迷惑なんて
正直二の次でした。
自分さえ楽しくて、自分さえ良ければそれで良し。
若気の至りという便利な言葉を
使わせていただくなら、本当にその通りだと思います。
それでも大人になってみると、
人様の迷惑というか、自分勝手な我の部分は
あまり外に出すものではないと
歳を重ねるごとに、わかってくるものなんですよね。
アシタカは山で暮らすサンと、タタラ場で鉄を作る
エボシの間に立って、公平な立場を示しています。
宮崎監督の伝えたい思いを読みました。
人間を嫌いと言いながら、森で生きるサンも
生きるために鉄を作り続けるエボシのことも
どちらも受け入れ、否定はしないんですよね。
アシタカが、エボシとサンの戦いに
何度か仲裁に入ることはあっても
どちらかだけに加担することはありません。
そして呪われた右手が、怒りを増すごとに
疼いていきます。
自分の中で生まれる、理不尽な怒りを
どうコントロールしていくか?
それも見どころなのかもしれません。
人間に捨てられて、森を人間に破壊される
理不尽さをサンは味わい、
女性や病人などを面倒をみては、
経済的な豊かを求めているのに、
サンや山犬に仲間を殺される理不尽さを
エボシは味わい、アシタカは村を守るために
祟神のイノシシを打った結果、
自分が呪われて、村を出ていくという
理不尽さを味わいました。
立場は違えど、みんな理不尽さのなかで
憤りと怒りを抱えているんだと思います。
今だって、自然や地球規模でみたら
知らない人間がやってきて、
勝手に森や環境を壊していく。
人間にしてみたら、山から熊やイノシシが
降りてきて人を襲ったり、自然災害により
多くの命が奪われています。
どちらもまた、理不尽なことだらけ。
理不尽とは、簡単に言うと筋が通らないことや
矛盾していることを表すそうです。
キャッチコピーにつけられた『生きろ』
は理不尽さの中で、怒りを抱えながら
いかに愛情を持って生きられるか?
ということなのかもしれません。
実際に人間嫌いのサンは、アシタカにだけ
心を開いていきます。
怒りを抱えるからこそ、アシタカも
サンの気持ちがわかるのかもしれません。
物事って、警察を呼んだり弁護士さんを通せば
そりゃ解決しますよ。
必要があれば、相手に金額を払うことも
あると思います。
それもひとつの良い解決方法です。
そこまで行かずとも、内容によっては
もう少し歩み寄って、話し合って
憤りを感じることがあっても、
その怒りを抱えながら、互いに生きることは
出来ないのかと。
今って映画みたいな強盗事件や
海外みたいな殺人事件が起きて
日本もだいぶ物騒になってしまいました。
もはや性善説なんて、信じたほうがバカを見る
時代なのかもしれません。
それでも精神性が高い日本人ですからね。
自分の我を出せば、盗んだり殴ったり
とんでもない世の中になってしまいます。
ここ数年でコロナがあってから
日本もだいぶ変わりました。
生活様式も、価値観も人それぞれですし
それで良いんだと思います。
むしろ良いも悪いも、正しいも間違っているも
ないのでしょうから。
腹が立つこともあるし、金銭的にも困窮する場面だって
長い人生の中で、そりゃありますよ。
でもね、だから人の物を奪っていいとか。
ムカついたから、殴っていいとか。
それはただのワガママです。
ワガママって、漢字だと我儘とかきます。
我(自分)の儘にあること。
儘とは思い通り、成り行きに任せるという意味です。
だからといって、我慢することもないと思います。
自分も相手も、両方の意見を尊重すること。
人間が人間と争っている場合ではないんですよ。
どこかの国でも、戦争していたり。
お国のお偉いさんは、机上の空論で。
チェスでもやるみたいに、戦争を始めて
犠牲になるのは、国民ばかりです。
人間も自然も動物も地球も、
共に生きることが出来れば、
それに越したことはないかと思います。
人間の利益優先で、利便性だけが重視される昨今。
自然と人間が上手く生きていくことを
少しだけ本気で考えなければいけない
時代になってきたのだと思います。
とはいえ、こんなことを書いている
私自身も文明の力を利用しているひとりです。
洗剤も電気も使えば、肉も食べます。
便利さに骨抜にされた人間です。
自分ひとりが出来ることは、微力ですが
出たゴミの分別や、リサイクル出来るものは
仕分けたり、界面活性剤の少ない洗剤を使ったり
無理のない範囲で、出来ることを考えています。
毎日使うものだからこそ、その蓄積は
良くも悪くもかなり大きい結果に
繋がっていくと思うからです。
そして環境に限らず、社会という場所で
生きる限り、価値観が違う人も
必ず出てきます。
何かしら合わないからって、
怒りのままに、感情を相手にぶつけてしまったり
腹が立つから相手を傷つけるのも
なんだかな…って思うんですよね。
最近はそんなニュースばかりです。
自分の中での怒りのコントロールって
人間関係において、本当に大事ですね。
やられたら、やり返す。
奪われたら、奪い返す。
それが永遠続くのが戦争でしょうから。
もののけ姫をみて、心にズシっと残ったものが
なかなか解けず、今日はそんな思いを
ブログにしてみました。
怒りを持ちながらも、相手に愛情を注ぐって
本当に難しいです。
でもね、きっと最後は『愛』なんだと思います。
どんな理不尽な経験でさえ、時間が経って
思い返した時に、それで良かったと
怒りが愛に変わった瞬間なんでしょうね。
怒りを抱えて生きていくことは、
起爆剤にもなるし、復讐心が生きる糧に
なる人だっていらっしゃると思います。
ですが人を呪わば穴二つですし
恨み辛みで心をいっぱいにして生きていくか?
愛で心を満たして生きるかでは、
人生大きく違ってくるかもしれないですね。
価値観だって性別だって国籍だって
言語や習慣だって、違いは生まれてしまいます。
違いのあるものが、どうやって共に生きるのか?
多様性が注目されて、良い時代になりました。
お互いが主張した結果、争いや人を傷つけてしまえば
それこそ本末転倒です。
違いがあることをわかった上で
お互いが同じ場所で生きていくこと。
『生きろ』という
もののけ姫のあのキャッチフレーズでは
ないでしょうか?
*夢猫ムニャ*