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5月になるとふと思い出す。この一年、亡き友人に思うこと。

こんにちは。

気がつけば5月も最終日となりました。

年が明けて、新年度が始まり

5月の大型連休も迎えて。

 

もうね、今年の半分が

もうすぐ終わってしまうわけですよ。

 

梅雨が終われば、夏至も来る。

夏至を過ぎれば、日も短くなり。

なんだか少し寂しい気分になってしまう。

さてさて。

5月の終わりにふと思う事。

 

今日はそんなことについて、

ブログを書いてみたいと思います。

 

実はですね、ちょうど一年前の5月。

大切な友人の訃報が入ってきました。

 

私と同い年で、苦労を共にした仲です。

亡くなる数ヶ月前には、オンラインで

占い福袋の鑑定を受けて下さったんです。

 

数年前に東京を離れ、そこからも

SNSで近況を見たりはしていました。

 

東京を離れる際も、挨拶も兼ねて

ご家族で来てくれたんです。

それが彼女を見た、最後の姿となりました。

ここ数年は、SNS自体も更新されず

どうしているか?

心配ではあったのですが。

 

オンライン鑑定を受けてくれた時に

今までの経緯や、今の近況を

すべて話してくれました。

 

らしいな〜と言えば、

本当にそれまでなんですが。

 

それでも、色々あったけど

今もなんとかやってるよと。

画面越しに見る、笑顔が忘れられません。

 

そこから心の病を抱えていることを

教えてもらいました。

 

いつの日か上がった、数年前のSNSの写真も

激痩せしてしまった彼女の姿が。

 

もともと線の細い子ではあったのですが、

顔も体も痩せていて。

 

その頃もメンタルの調子が

あまり良くなかったのだとか。

 

双極性の鬱症状があり、

元気な時と落ち込んだ時の落差に

今も苦しんでいると。

 

オンライン鑑定で、そんな話をしたんです。

同業者であり、同じ門下でもあります。

 

占い師になって、同じ師匠について。

最初の頃は犬と猿のような。

彼女と私はそんな関係でした:笑

 

なんとなく気が合わず、同い年で

やりやすいようで、やりにくい。

 

いつも目の上のたんこぶのような。

振り返ってみれば、出会った当初は

お互いにとって、そんな存在ではなかったかと。

 

師匠の中島先生に叱られるのも

いつも一緒でした。

 

占い師としても、鳴かず飛ばず。

それでも何とか踏ん張って

お互いに支え合って。

 

いつしか戦友のような仲になり

不器用で真っ直ぐな彼女を

理解したいと思うようになりました。

いっつも皆まで聞かずに

アラレちゃんのごとく

キィーんと飛びだしていって。

 

あわてんぼうのおつかいか?

ってくらい、勢いがよくて。

 

なんだかそれが、危なっかしくて

どこか危うくて。

 

がんばるのは良いのだけど、

頑張り切った途端に、

電池が切れたオモチャのごとく

パタっと止まる。

 

昼間は対面鑑定、夜は電話鑑定を

躍起になってやっていた彼女が

目標を達成した後に、体調不良で

だれも連絡が取れなくなってしまって。

 

部屋で孤独死してるんじゃないかって。

大騒ぎになったくらいです。

 

同い年で、1ヶ月私が早く生まれて。

家族構成も似ていて。

 

似ていないのは、真反対の性格だけ。

敬遠の中だった2人は、時間を共にする間に

お互いが良き理解者になっていました。

 

もう10年くらいになりますが、

私が占い師をやりながら、半年間

百貨店でベーグルを売っていた時がありました。

 

ついに占い師で喰えなくなって

アルバイトでも始めたのか?

 

そんな風にも思われたかもしれません。

実はそこのお店の店長を、彼女がすることに

なったんです。

そのベーグル事業は、師匠の中島先生が

携わっていたこともあり、

彼女が店長をやりたいと。

でもね、ほら。

そんな性格ですから。

 

もちろん私も彼女も

占い師とベーグルの

二足の草鞋を履いたままでした。

 

私はいつも早番担当で、

16時あがりで、18時からは

占い師という、何ともハードな半年間。

大学生のバイトから50代の

ベテラン販売員さんまで。

毎日が学園祭みたいで、楽しかったです。

 

それでも彼女が心配で。

いつかぶっ倒れるじゃないかって。

 

ある意味、引率の先生のような。

そんな気持ちでサポートするために

私もベーグル屋さんに携わったんですね。

 

今でも昔の写真を見ると、

その頃のこと、よく思い出します。

 

みんな良い笑顔で映っていて。

あの頃が一番大変だったけど

楽しかったよね〜。

オンラインで話した時に、

そんな話にもなりました。

 

その後、彼女が妊娠したわけです。

同い年ですからね。

その知らせを聞いた時は

本当に嬉しかった。

私も占い師として、少し軌道にのって

でも妊娠や子育をすることは

考えたことがなかったので。

『アラフォーの希望じゃん!』

なんて冗談まじりに話をしたんです。

 

彼女にとって、子供が生きる糧となったことは

間違いないでしょう。

 

その後も子供さんの成長を、

楽しんでいた彼女は、すっかり母の顔に

なっておりました。

 

子供も今では小学生となり、

平日は仕事に出て、週末は占いをしたり。

充実していたように見えた矢先に

舞い込んできた彼女の訃報。

 

自身のSNSでも、心が疲れてしまって

しばらくの間、更新をお休みしますと。

それが最後の更新となりました。

 

詳細も死因も、よくわかりません。

亡くなる数ヶ月前のオンライン鑑定では

心の病以外に、疾患はなさそうでした。

 

自ら命を絶ったとは、考えたくないのですが。

何で亡くなってしまったのかは、不明です。

 

共通の知人を通して、彼女の納骨の日や

お墓の場所も教えて頂きました。

 

嘘だと思って、LINEをしても

未だに既読になりません。

私も若い頃から、友人を何人か

亡くしてきました。

一緒に遊んで、またね〜と別れた帰りに、

そのまま電車に飛び込んだ彼女。

 

2日前まで笑顔だったのに、

自室で塩をまいて、首をくくった友人。

 

歩きながら携帯を触っていて、

トラックに轢かれ、事故にあった友達。

 

死に対して、私個人は結構ドライというか。

そこは死と再生の蠍座的な何かが

働いているのでしょうが。

 

何がなんでも、長生きしたいとか。

そういった生に対しての執着が

人より薄いのかもしれません。

 

なんならね、尊厳死が認められるのであれば

全部片付けて、年金をもらう前に

死んだ方が楽なんじゃないかって。

 

残すものもないですし。

老猫と母だけは、責任があるので。

そこだけ見送れば、あとは正直いいかなって。

孤独死すれば、家主に迷惑もかかるし

家を買ったって、相続する人もいない。

なんなら、わずかばかりの年金や

社会保障のお金も、未来の子供に

使って頂いた方が、よっぽどメリットありますもん。

でも死ぬ瞬間は、正直怖いんですけどね。

痛いのかな?苦しいのかなって。

想像しますが、薬で眠るように死ねるなら

尊厳死も悪くないと。

 

それと嫌というほど、死の恐怖を

幼少期に父親に植え付けられたのも

あるのかもしれません。

 

だからどんなに苦しくとも

自ら命を断とうとは、考えたことがなくて。

 

一年前に訃報を知った、この友人の件も

何でかな…と言う思いと、

バカヤロウ、大馬鹿野郎だと言う気持ちと

複雑な思いです。

 

彼女のお子さんは、幸いなことに身内のもとで

穏やかに暮らしているそうです。

彼女が亡くなったのは、母の日の翌週。

 

お母ちゃんさ、考えてみてよ。

いつもさ。

母の日が来るたびに、

子供が思い出すだろうよ。

妊娠を報告してくれた時の

あの嬉しそうな顔。

今でも思い出すよ。

これで明日への糧が出来た。

彼女の生きる理由が出来たって。

 

死んだらね、全て終わりって。

これで楽になれるって。

そう思うのかもしれません。

 

死んでしまいたいくらい、

苦しい思いを手放したい気持ち。

それもわからなくはないです。

死んで自分が亡くなっても

その苦しみのバトンは、親や子

友人やパートナーへ渡っていきます。

 

残された者の苦しみは、

誰かが亡くなって

そこから始まっていくわけなんです。

 

彼女に憤りを感じるとしたら、

幼子や親を残して逝ってしまったこと。

 

この先に残された親は苦しみ、

子は悩むだろ?

そこには彼女なりの深い苦しみや

途方もない辛さがあったのかもしれません。

 

亡くなる数ヶ月前から、

異常に元気で、東京にも数回来ていたり

形見分けみたいに、色々な人に

自分の私物を送っていたり。

私もね、猫のタロットカードを

プレゼントしてくれました。

『このカード見た時にさ、

これはもう、ムニャちゃんしかいないって思って!』

本当に形見になっちゃったじゃないかよ。

バカだな…

 

彼女の異変に気づきながらも

いつものことだと、気づけなかった自分の

バカさ加減にも

腹立たしさを感じております。

 

自ら命を断とうとする人って

そんな風に見えないんですよ。

全然普通というか。

いつも通りな感じがして。

生きろとは言わない。

でも死ぬなょ。

いつか必ず死ぬのだから。

命尽きるその日まで死ぬな。

そう彼女に言ってやりたいです。

 

中島先生に託された伝言も

結局伝えられないままじゃんかよ。

 

お墓なんて、絶対いかないからね。

いくもんか。

肉体は朽ちても、魂は残る。

きっと彼女が占い師として、伝えてきた言葉が

お客様の心に宿り、

これからも広がっていくことでしょう。

 

もうさ、アラレちゃんみたいに

人生をね、生き急ぐなよ。

いつか彼女のお子さんが、

大人になって、訪ねてきてくれることがあれば。

 

その時は、お母さんがどんな人だったか?

お伝えしたいと思います。

 

あっちに行っても、占いしてるのかな?

なんて考えてみたり。

 

でもあの世って、もう悩むことがないのかな?

そしたらさ、また一緒にベーグルでも売ってさ。

一儲けしようぜ。

 

タロットカードに洋服。

あなたにたくさんもらったね。

何一つ、お返しできないままで

ひと足先に逝ってしまって。

もらった服は、今でも大事にしてます。

いつも背中に面影を感じながら、

鑑定するからさ。

だからまた、アラレちゃんのごとく

キィーンて生まれ変わってきてよ。

 

生まれ変わって、生きるのに悩んだら

その時はいつでも鑑定するからさ。

 

犬猿の仲だった2人が、

この人を理解したいと。

いつしか愛おしい存在に変わったあの日。

 

もう少し一緒にいたかったよ。

死んじゃダメだってばょ。

占い師が悩んでて、どうするのさ。

 

きっと一年で一番大好きな

5月が来るたびに、これからも

あなたのことを、毎年思い出すのだと。

いつも思ってくれて、ありがとね。

そしてこれからも、ヨロシク。

 

ひと足先に行って、ベーグル屋やっておいてよ。

いつか私も、そっちに行ったら手伝うからさ。

また2人で美味しいベーグル売ろうよ。

*夢猫ムニャ*

 

 

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