運命と宿命と使命は、似て日なり。この違いを知ると、生きるのが楽になります。
こんにちは。
今週末から、また寒くなるらしいですね。
覚悟はしているものの、
寒いの嫌だな〜なんて思ってみたり。
でも寒い日が続くと、
おでんやお鍋が美味しく食べられそうですね。
さて、今日はですね。
運命や宿命についての
お話をしたいと思っております。
みなさんからみて、運命や宿命。
このパワーワード、どんな印象でしょうか?
運命・宿命・使命。
どれも命がついていて、響きは似ているのですが。
その違いについての解釈は、
ちょっと難しいかもしれません。
まず最初に生まれた段階で、
その人に備わる宿命の部分。
どんな父親と母親のもとに生まれ
体質や容姿もありますね。
そしてどんな環境で幼少期を過ごすのか?
例えば裕福な家庭なのか、そうでないのか?
それだけでも、人格に与える影響は
計り知れないわけなんです。
宿命の部分て、その人に宿る命と書きます。
基本的には変えられないものを表します。
容姿や体型もそうですね。
生まれてすぐに親が離婚したり、
仮に戸籍に父親の名前がなかったとしても、
お母さんひとりでは、子供はできないわけですよ。
必ず生みの父親と母親が、どの人にもいるわけなんです。
そういった背景や、家庭の事情もまた変えられない事実。
その人の宿命なのかもしれません。
では、運命とは一体なんなのか?
運命って運ぶ命と書きますよね。
人間は肉体という器に、魂を乗せて
生まれた瞬間から、死に向かって
魂を運つづけます。
車と運転手の関係に似ていますね。
車があっても、運転手がいなければ
車は動かないし、運転手がいたって
車がなければ走れないわけで。
肉体という乗り物に、魂が宿る。
それは車に運転手が乗り込むのと一緒なんです。
死というゴールに向かって、
どの道でいくのか?
高速道路で行く人もいるし
下道で行って、いろいろ寄り道してみたり。
どんなルートを選択するか。
それ自体が運命なんですよね。
どこに住んで、どんな仕事について
だれと結婚して、どんな人生を送るのか?
これらは宿命と違い、自分で選択できます。
宿命では、容姿の部分も入りますが
例えば一重の目にコンプレックスがあって。
そこは宿命なんですが、今は10代でも
二重手術や脱毛をされるじゃないですか?
どんな病院で受けるのか、
どんな先生にお願いするのか。
二重幅はどれくらいにするのか?
そこは自分で選択できるので、
整形をすること自体は、運命の部分に当たります。
18歳までは、親の運気を受けるので
親が再婚したり、リストラにあったり。
自分自身の選択ではないけれど、
親によって良くも悪くも左右されますよね。
そういった抗えないもの、避けられないもの
選択できないものは、宿命の部分でしょうし
逆に親が離婚する時に、父親と母親
どちらについていけるかを選択できるのなら
それは運命の部分だと思って下さい。
自分で自立できるまでは、
親の車に一緒に乗っているような感じです。
成人や社会人になったとき、
その親の車を降りて、
自分で新しい車を運転していかなきゃなりません。
最初はね、車の運転が下手なんです。
世の中という道路には、いろいろな人がいます。
闇バイトのお誘い、甘い誘惑。
騙されたり、痛い目にあったり。
煽り運転みたいな、理不尽なことだって
社会に出れば経験します。
自分で選択したことに、自分で責任をもたなきゃいけない。
それが社会人なんですよね。
でもね、人生は悪い事ばかりじゃありません。
パンクして困っていたら、助けてくれる人や
道に迷ったら教えてくれる人もいます。
そうやって自分の魂を肉体に乗せて
良くも悪くも、たくさんのことを世の中で
経験していくなかで、人の魂は成長するんです。
宿命は変えられないけど、運命は変えられる。
それは自分の責任において、
物事を決めていくことかもしれません。
宿命の部分は、車でいうところの
車種みたいなものじゃないかと。
コンパクトカーに、軽自動車。
ファミリーカーみたいな車に
バスやトラック、戦車みたいな大型車。
高級セダンや2人乗りのスポーツカー。
パッとみた時に、用途も形も
性能も全然ちがいます。
どれがいいとか、悪いでもないんですよ。
例えば荷物を運ぶのに、軽自動車よりは
トラックの方が、たくさん運べるし
細い路地や街乗りしたいなら
コンパクトカーや軽自動車の方が向きますよね?
自分自身の持っている命と、生き方である
用途がトンチンカンだと、生きるのに苦しくなるんです。
私は鑑定で、そこをみています。
自分にあった生き方をすれば、
生きるのが苦しくないんです。
軽自動車が戦車に憧れたって、
そもそも用途もパワーも違います。
『自分が戦車だったらな〜』
って思ったって、戦車になれるわけでもなく。
だったら自分の持っている、軽自動車の特性を
活かすことを考える。
きっと戦車だってね、燃費が良くて
街乗り出来る軽自動車を羨んでいるかもしれません。
私も占い師になるまでは、
いつもそう思っていました。
あんな家に生まれていれば、
もっとこうだったら、
あの子みたいな人生だったら。
きっと幸せになれたんだろうな〜って。
でも自分以外の誰にもなれない。
だったら、今ある自分の強みを活かすしか
ないでしょうよ。
少し前に『親ガチャ失敗』なんて
言葉がSNSを賑わせていました。
親ガチャに成功した人たちは、
生まれながらの車に、オプション装備が
いっぱいついている状態です。
カーナビにバックモニター、
安全装置などなど、魅力いっぱいの装備が
生まれた時から備わっている車です。
親ガチャに失敗してしまった。
悲しい宿命をもっている人は、
最低限の装備しかついていません。
でもエンジンだけは丈夫なら、
人生を走ることに支障はないですからね。
優秀なナビがついていないなら、どうするか?
最近はスマホのナビもありますし。
アナログですが、地図帳だっていいわけですよ。
最近は地図帳が読めない人が増えているとか。
生まれた時から、あれもない、これもない人は
努力を強いられますが、それはいつか必ず
自分の身を助けることになりますから。
でも、嘆くことはないですよ。
最初から自分に何もついていない
車だったとしても、後からつけることは
いくらでもできます。
ここからが運命なんですよね。
宿命で変えられない部分に
選択していくなかで、たくさん後付け出来ますから。
親がしてくれない、買ってくれなかった。
じゃあね、自分で稼いで
誰にも遠慮せず、自分でやったらいいじゃないですか?
それが誰でもなく、自分の努力の賜物なら
誇らしく思ってみて下さい。
親にしてもらえるなら、
もちろん、それに越したことななく。
でも誰も与えてくれないのなら、
自分でつかんで、自分に与える以外
方法はないんですよね。
待ってるだけでは、何もかわらない。
遺伝的な疾患や病気は、防ぐことは
難しいかもしれませんが
親が離婚していたり、借金癖やDVだったり、
異性関係にだらしなかったりすると
自分もきっとそうなるかもしれない。
そういった不安も、わからなくはないです。
その親のDNAが流れているのは、
宿命の部分であり、紛れも無い事実。
ですが、かならずそうなるわけでもなく。
そこは運命の部分で、どうにでも
人生の舵を切ることはできます。
だから親と同じ人生を、辿るかどうかは
自分の選択、つまり運命だと思います。
そして使命の部分は、命を使うと書きますね。
使命感ってあった方が、生きやすいでしょうし。
宿った命で、魂をどう運ぶのか?
そこが宿命と運命であるならば、
自分の命を何に使うのかが、使命の部分じゃないかって。
私は占い師なので、お客様の鑑定をさせていただくことが
その使命にあたると思います。
使う命って書くくらいですからね。
お勤めの方だって、自分の仕事の向こうには
必ずお客様がいらっしゃるじゃないですか?
自社の製品やサービスを、買ってくれる人がいる。
そのために毎日8時間、働いてお給料を
いただいているんじゃないでしょうか?
自分の人生の時間を、何に使うのか。
『この仕事、私じゃなくてもいいんじゃないか?』
そんな時は、自分の人生の時間の使い方を
考えてみた方がいいかもしれません。
私も会社員だったころは、体を酷使する仕事でした。
肉体的な疲れは、毎日感じておりましたが
今は反対に、一日中座っているので
体は使わないのに、命を使っている感じがするんです。
疲れ方が全く違うんですよね。
鑑定をしすぎれば、呼吸が浅くなっているのもわかるし。
それでも毎日、お客様に向き合わせていただくことが
できるのは、自分の使命感があるからかもしれません。
自分の命や身を削ってでも、
この仕事で命が燃え尽きるなら。
それすら本望です。
お客様の中には、家系的な因縁を
気にされる方もいらっしゃいます。
その因果関係を数値やデーターで
証明することは、少なくとも私には出来ません。
ただ鑑定していると、家系的な因縁といいますか。
そういったものが、全くないとも言い切れず。
先祖が悪い事をしたり、家系に不審死が多かったとしても
それもまた、自分次第なんじゃないかと。
そうならないように、意識を持っていくのか
それとも、そこに最後まで引っ張られてしまうのか?
海で溺れて、潮の流れに引っ張られながらも
なんとか岸に向かって泳いでいる日々。
それもそれで、なかなか大変なんですが。
意識をどちら側へ持っていくか次第じゃないかと。
親や先祖の反面教師で、そうならないようにして
苦しみながらも、立派な人生を
送っていらっしゃる方も、たくさんいます。
自分に宿る命を、死に向かって
どう運ぶのか?
どんな思いで運びつづけるのか?
それが宿命・運命・使命なんじゃないかと。
ただね、良くも悪くもこの言葉に溺れず
感謝できる環境に生まれたなら、
親や周囲の方々に、お返ししていったり
生まれながらに過酷な境遇であれば
自分でその都度選択し、自分の力で手にいれる。
どんなに羨ましい境遇の方でも
全く悩みのない人は、いないんじゃないかと。
誰かを羨んでみたって、その人もまた
何かしら悩んでいるということ。
自分にあった生き方を。
自分らしい在り方を。
そこが一致してこそ、持っている星の
本領は発揮されるのですから。
過酷な人生を送ってきたのなら、
人生の筋トレをしてきたも同然。
宿命の部分に腐らなければ、
人生はいつだって、どうにだって
きっとなるのですから。
*夢猫ムニャ*