自分の人生、辛い事だらけ。貧乏くじか?大当たりの特賞か?決めるのは自分次第です。
こんにちは。
春らしいお天気、満喫されて
いらっしゃいますでしょうか?
最近は少し風が出てきて、
相変わらず花粉が辛いのですが。
たくさんの物が芽吹き出すこの季節。
これが終われば、また暑くなるのでしょうが
心地よい日々を、惜しむように過ごしたいものです。
さて、先日あるお客様と
久しぶりにお会いすることになりました。
そうですね、多分2年までは行かないのですが。
だいぶだいぶ、お久しぶりの再会となりました。
お客様の事情は、お客様自身のSNSからも
知ってはいたので。
なかなか大変な状況で、そして遠方なのもあり
毎日多忙な日々を、きっと過ごされていたのだと。
そんな風に感じておりました。
ひょんなことから、ご縁をいただき
それでもだいぶ長いお付き合いかと。
同い年で、自営業でサロンを開業されて
なんだか境遇も似ていてですね。
そして何より、四柱推命でみると
極身強のたくましいお客様です。
同い年なのですが、頼れるお姉さんのような
そんな感じのお客様なんです。
コロナ禍に入ってから、お客様のお母様が
大きな病にかかりまして。
お母様自身も、とてもしっかりされていて
医療関係にお勤めだったこともあり、
治療や病院の内情は、わかっていたんでしょうね。
大病を患いながらも、薬漬けやチューブに
繋がれて生きるのなら、
たとえ生きる時間が短くとも
自宅に帰って、無理のない生活をしたい。
それがお母様の希望だったそうです。
お薬でもたすことは出来ても、
なかなか完治までは難しい病なのかもしれません。
主治医からは、
『このまま変えれば、命の保証はできません。
下手したら、帰りのタクシーの中で
亡くなってもおかしくないですよ!』
とまで言われたそうで…
それでもお母様の意思は固く、
退院して、その後は自宅療養に。
延命治療でもなく、無理もしない。
自分の体の状態に寄り添って。
医者には、帰りのタクシーで
死んでもおかしくないと言われましたが、
そこから3年弱、お母様は上手に生活され
命を全うされたそうです。
お客様自身も、仕事を抱えながら
実家まで週に何度か通って泊まったり、
お母さんの希望を聞き入れて、
本人の意思を尊重しながら、
寄り添う姿勢は、私にとって
何より理想的だなと思いました。
私の母も、年末に癌の手術をし
元気に回復しておりますが、
あれこれと、つい口出ししたくなっちゃいます。
食べ物にしても然りですし。
生活習慣なんかも、あれがダメとか
これは止めてって。
後々のことを考えると、母に何かあれば
自分にかかってくる。
それが面倒に感じてしまって、つい言ってしまうんです。
でもそれもね、娘のエゴだってわかってます。
食べ物も性格も、私と母では正反対。
『そんなことしてたら、また癌になるよ!』
そうやって気になってしまうんですよね。
でももう一方の自分では、
親子であっても、他人というか。
相手をどうすることも出来ないということ。
本人が好きに生きて、それで納得のいく
人生なら、それでいいじゃないか?
どれだけ長生きしたかが大事ではなく
好きなことを楽しんで、納得して
あの世に逝けば、90や100まで生きずとも
いいんじゃないかって。
親に死んで欲しくない、長生きして欲しいい。
そりゃね、健康であればいいですよ。
でも延命に次ぐ延命、手術の繰り返しで
体は切り刻まれ、無数の管と大量の薬を投与されて。
本人が、それでも生きたいのならともかく
親に長生きして欲いからと、本人の意志に反して
治療を続けるのも、酷なことかもしれません。
日本は保険制度もありますし、
標準治療でも、医療水準は高いと思います。
国が抱える医療費問題もそうですし。
個人的には、長生きすることの方が
あの世よりも、この世で生きることの方が
だいぶ辛いように感じます。
今みたいに、開腹手術するなんてのは、
侍の時代なら、切腹に値するわけですよ。
開頭手術で脳をいじったり、
心臓を開いてなんてのは、もはや神の領域。
医療が進めば、不治の病も治ってしまい
占いなんて、到底歯がたたないです。
話は外れてしまいましたが、
このお客様のように、死が近づいたとしても
お母様の意思を尊重し、
部屋を一緒に少しづつ片付け、
葬儀場もお母様と決めて…
本当に理想的な感じじゃないかって。
墓じまい、実家じまいに続き
最近は親子じまいも流行っているそうです。
親や兄弟が生きていても、
直接的に関わりたくないので、
お金を払って諸々を親族代行してもらい
本人と直接やりとりすることを
極力避ける、そんな意味での親子じまい。
今やそんなことさえも、ビジネスになってしまう
便利さでもあり、高齢化社会や希薄な世の中を
反映しているニュースだと思いました。
いらして下さったお客様とは、
生死感や考え方などが、どこか似ている所もあり
業種は違えど、お違いにお店を持って
お客様を迎え入れる仕事です。
たくさんのお客様をみることで
浮き彫りになってくる問題など
共通することが、たくさんあるんですよね。
そしてお互いに兄弟や姉妹の一番上の
長女ということもあり、やはり家族への関わり方や
苦労も自然と似ているんですよね。
私もこの半年間、家や家族のこと。
色々とあって大変でした。
でもどこかで、同じような問題を抱えて
堪えて踏ん張っている、お客様のお顔を
思い出せば、まだまだやれる。
決してひとりじゃない。
そう何度も言い聞かせて、乗り越えてきました。
お互いに、誰にも打ち明けられない思いを経て
なんだかんだで、過ぎてしまえば
そんな苦労もどこへやら。
『お互いにがんばって、なんとか乗り越えましたね』
終始そんな会話の溢れる鑑定となりました。
みなさんも、大きな問題や辛い思いを抱えると
こんな思いをしているのって、自分だけじゃないか?
そう感じるかもしれません。
誰かに話をしたり、そういうことを共有したり。
もしくは情報交換をする場所がないと
今にもパンクしそうだと思います。
占いだけで解決出来ることには、限界があります。
法律や行政的なことも、現実問題発生しますからね。
介護職や行政、教育関係、医療従事者。
そういったお客様から聞いた、現実的な対処法。
そうなってみないとわからない現実。
親が介護が必要になって、どこに行けばいいのか?
大病を患った時に、どうすればいいのか?
専門的な知識を持ったお客様から
いただいたことを、また別のお客様に
シェアさせて頂くことで、問題解決の糸口に
繋がっていけばいいなと。
人生って、自分のことだけでなく
親や子供、友人にパートナー。
自分のこと以外でも、悩むことって
ありますよね。
その度に、どうして自分が…
なんて悩むと思います。
そんな時には、誰が悪いとか
誰のせいでこうなったとか。
原因を向ける矛先を考えがちです。
相手のせいかもしれないし、
こんなハズではなかったかもしれません。
でもね、結局自分のことは
どうにか出来ても、相手のことは
相手の中の問題と言いいましょうか。
人のことって、どうにもならないんですよ。
良かれと思って助言しても、
本人がいいと思わなければ、聞き入れないし。
変えようとも思わない。
でも自分自身は、今からでも明日からでも
変えることは出来ます。
相手がそう思うなら、それまでなんですよ。
人生なんて、理不尽なことだらけ。
なんで自分ばかりがこうなるんだろう…
隣の芝は、青く見えるもんなんです。
でもどんなに青い芝の中にも、病んでいたり
枯れている部分だってあるんですから。
自分だけでもないですし。
所詮、自分自身の問題なのですから。
それを拒否して、現実逃避したって
事は一向に解決しません。
10代の頃、強くなりたい!
少々のことでも、動じない自分になりたいと。
切に願っておりましたが、
困難は人を強くし、悩みは術を習得します。
悩み苦しんだ数だけ、きっと人としての
幅や魅力は増すハズです。
自分と同じ事で悩んでいる人は
きっとどこかに必ずいます。
自分と同じ痛みを抱えている人は
案外近くにいるのかもしれません。
傷の数だけ強くなり、
辛さの分だけ優しくなれる。
私もこの半年、本当にキツかったですが
終わってしまえばね、なんて事ないです。
その最中にも、同じ悩みを抱えるお客様が
何人かいらして下さって。
そんなお客様の存在が、どれだけ心強かったことか。
すべては自分が選んでしまった人生なので。
こんな人生を選択した私は、
一体今世で何を学びたかったのか?
自分の命盤や星を眺めては、
そんなことを考える今日この頃です。
会社員を辞めて、占い師になったとき
どんなお悩みに対しても、
心のアレルギー反応が出ないのは、
自分がその経験をすでに得ていて、
免疫ができているからだと思います。
そう考えれば、こんな貧乏くじみたいな人生も
大当たりの花丸なんじゃないかって。
苦労が多くたって、幸せな人もいらっしゃいますし
満たされていたって、悩みが尽きない人もいる。
その違いは、考え方や捉え方次第だと。
人生で苦難とされていることは、
大抵経験してきました。
健康だけが取り柄なので。
あとは経験してないのは、病気くらいでしょうか。
それでもね、今の人生気に入ってますし
自慢できるものは、1つもありませんが
満たされた気持ちでいるのも事実です。
足を知ること。
失ってこそ、いかに満たされていたかが
わかるものなのかもしれません。
人生は物事の捉え方と見方次第。
見方を変えれば、味方も増えます。
貧乏くじな経験も、きっと当たりくじに
変えるかどうかは、自分次第。
人生で得るものは、たくさんありますが
辛い経験も、その1つかもしれません。
*夢猫ムニャ*