盲目的に12年近く走り続けてみて、最終的にやり続ける意味やゴールさえ見失ったお話し。
こんばんは。
最近いろいろな物が
値上がりしてるじゃないですか?
製造メーカーだって、大変ですから。
必要に応じた値上げも、いた仕方ないですね。
企業努力だけでは、どうにもならないことだって
きっとあるでしょうからね。
値上げも、育ち盛りのお子さんがいる方は
食費も大変でしょうが、大人だけだと
ないなら、それなりになるものです。
最近の夢猫ムニャ、ダメなんですよね。
なんか移転してから、
骨抜きにされてしまったようでして。
まだお店が高円寺にあった時は、
あれだけ仕事、仕事!といって
休みも返上し、定休日は月に2回だけという
謎に過酷な条件を、自分に向けておりました。
ココらへんは、紫微斗数でいうところの
天刑の成せる技かもしれません。
しかし移転後、ライフスタイルそのものが
激変してしまい、生活が楽しくなってしまって。
出来れば家にいて、家事や料理を楽しみたい!
気持ちはどこか、専業主婦希望のようです。
気がつけばお店をあけてから
ちょうど干支は一周したのですが。
こんなに丁寧に暮らすことって、
この12年、無かったように感じます。
朝、窓から差し込む日差しの気持ちよさだったり、
網戸ごしに入ってくる風の匂いだったり。
日差しのありがたさを満喫してみたり。
当たり前といえば、当たり前ですが
そんなことすら捨ててまで、私は一体
この12年、どこに向かおうとしていたのか?
走って走って、走り続けたら
走ることに一生懸命になって、
目的地も走る理由も忘れてしまったようです。
コロナで歩みを止めたとき、
ふと我にかえって、
『私、一体どこに向かうんだろう…』
向かう先が全く想像できなくて。
振り返っても、ぜんぜん豊かじゃなく
未来を見たって、明るい兆しは全くなくて。
一体なんのために、この12年走ってきたんでしょうか?
お客様のため、みんなに喜んでもらいたい!
最初はそんな動機からだったような気もします。
なんせ12年以上前の記憶ですからね。
今考えたら、おこがましいにも程があります。
自分で言っておいて、恥ずかしいですもん。
人に喜んでもらうには、まず自分が喜ばないとダメで
人をしあわせにしたいのなら、誰よりも
自分が満たされていることが大事です。
そんなことすら気づかずに、走り続けることだけが
自分のなかで美徳となっていったんでしょうね。
あのままだったら、きっと病気にでもなって
ダメになっていただろうなと。
移転と引っ越してからは、本当に毎日が楽しくて。
同じ24時間なのに、数駅向こうに行っただけですが
不思議と時間の流れが、全く違うんですよね。
こんなに穏やかな気持ちで、生きられるものかと
我ながら不思議に感じております。
そして時間があれば、朝と夕方には
お茶を鉄瓶で入れて、一服することも
欠かしません。
昔は時間もないし、キッチンも狭くて
お茶なんて、ゆっくり飲む時間もなくて。
仕事の合間に、カーテン裏で立ち食いですよ。
ボウケン先生も『職人か!?』と
私の姿をみて、ツッコんでくれたくらいです。
どんなに忙しくても、効率重視でも
一服するくらいの余裕があると
心に余裕もでてきますね。
最初のひと口を飲んで、ハァ〜とすると
なんだか深呼吸みたいに、落ち着きます。
今から行楽シーズンですし、経済もきっと
まわり始めるでしょう。
今まで我慢した分、旅行や遊びにいくのも
良しですから。
思う存分やっちゃってください!
その一方で、お金を使わずとも
どこかに行かずとも、こうして当たり前を
少し上質な時間にしてみること。
結構いいですよ。
特別な非日常感だからこそ、
感じるしあわせもありますが
当たり前が当たり前に存在する
そんなしあわせだって、きっと素敵です。
効率、スピード、コスパ。
早くて安けりゃ良いってもんでもありません。
そんなに急いだって、24時間は24時間ですし
生き急いでも、抗っても
最後はみんな死にますから。
手間を楽しむこと、時間が旨味をつくること。
手間をかけ、待ってる時間でさえ
最高のエッセンスですから。
緑茶やほうじ茶、麦茶など
日本人が好むお茶って、
理にかなっているものばかりです。
ネットもないのに、先人たちの知恵はすごいですね。
今の食糧危機や、価格高騰を
乗り切る知恵が隠されているかもしれません。
少し行き過ぎて、世の中のスピードに
追いついていけなくなったら
歩みを止めてみてください。
走りつづける理由を考えてみてください。
走り続けたゴールは、どこでしょうか?
そんなことを一服しながら
ふと考えてみてくださいね。
人のしあわせを決めるのは、
物ではなく心ですからね。
人間はしあわせだ!と思ったときから
充分にしあわせなのですから。
*夢猫ムニャ*