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天空の城ラピュタで暮らしていた人が地上に降りた理由は、今の世の中と酷似しています。

今日は、台風が日本に上陸しますね。

せっかくの夏休みで、予定を入れていた方も

多かったんじゃないかと。

それでも命あってのことですから。

あまり無理をせずに、楽しんでくださいね。

そして夏休みといえば…

スイカにプールにかき氷〜☆

もそうなんですが、夏休みといえばジブリですよ!

昨日の金曜ロードショー、ご覧になりましたか?

二人で唱える滅びの呪文の瞬間、

来るぞ〜来るぞと、ドキドキしてしまいます。

ジブリ作品て、いつ見ても飽きないし

何度見ても、胸が熱くなりますね。

そして時代は変われど、あの世界観は、

古さを全く感じないんですよね。

ラピュタの公開は今から36年前の

1986年になります。

だいぶ昔のお話で、この頃の日本は

バブルに向かって景気が右肩上がりの時代です。

ちなみに私は小学2年生でした。

夏になると大きな入道雲がでて、

『きっとあの雲はラピュタかもしれない』

友達と騒いでいたことを思い出します。

このブログを書くにあたって

いろいろと調べてみたのですが、

天空の城ラピュタから、シータとムスカの

一族が地上に降り立った話は有名です。

その理由は、原因不明の疫病に悩まされ

ゴンドアの谷のような場所で

ひっそりと暮らしたと、

書籍に書かれていたそうです。

なんだか今のこの世の中と似ていますね。

ラピュタには、お宝がたくさん眠っているのですが

それ以上に地上が与えてくれる

恩恵のすばらしさに気付き、

その後天空に戻ることはなかったんだとか。

何度見ても、ストーリーや展開がわかっていても

いつもジブリ作品には、心を魅了され

揺さぶられてしまいます。

昨日は作者である宮崎監督の思いを

データー放送で読んでいたのですが

読んでいてグッとくるものがありました。

シータとパズーは、お互いを自分のこと以上に

大事に思いやっています。

そこには損得勘定なんて、みられません。

2人を取り巻く大人たちは

躍起になって飛行石だの、お宝だのと

騒いでいるのに、全く欲がないんですよね。

 

自己犠牲という考え方自体

今の時代にはそぐわないのかもしれません。

でも自分以上に大事な存在があるって

素敵じゃないでしょうか?

守りたい誰かのために、必死になって

何かを貫くことや、勇気をふりしぼって

立ち向かうこと。

これってちょっとカッコイイですよね。

大人たちの目線で、あの二人を見守りながら

進んでいくストーリ。

36年経った今は、パズーやシータとともに

ドキドキしながら、大きな雲の向こうに

見えないお城を想像していた子供の頃の私も

気がつけばドーラ達と一緒に、

あの二人を見守る側になりました。

私が節目節目で、ジブリ作品をみるのは

自分の心をチェックしているのかもしれません。

あの作品をみて、胸が熱くなり

心が湧くようであれば、大丈夫。

心は汚れていないし、腐ってもいない。

あれをみて、何も感じなくなったら

人生終いにした方がいいかなと。

自分にそう言い聞かせています。

公開から36年経ちました。

1986年は昭和61年です。

昭和・平成・令和。

時代は変わっても、あの作品をみて

心が動かされるなら、人の本質は

何も変わっていないのかもしれません。

考えも価値観も時代と共に変わる。

けど、人として大事なことは

けっして変えてはいけないし

変わらないということ。

ムスカのように欲に心を蝕まれれば

大変なことになっちゃいますから。

儲かればいい。

自分だけ助かればいい。

そんな人は儲からないし、助からないという

自然の摂理を身をもって体感してください。

デジタルは人を便利にするのも事実です。

テクノロジーが進めば、今以上に恩恵を

受けれることも多くなるでしょう。

しかし何でもかんでも、デジタル化してしまえば

恩恵以上に弊害もあるということを

人類は忘れてはいけないのかもしれません。

どれだけ文明が進んでも、

アナログには勝てない。

空に憧れても、土から離れては

人は生きられないように

令和の時代に生きる私たちも

もう一度、日本人としてのあり方を

見直さなければならないのかもしれませんね。

世の中のおかしなことが、露呈してきています。

そういうことですから。

どうかお察しいただければ幸いです。

*夢猫ムニャ*

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