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親からの愛情を受けず、孤独の中で今も苦しみ続ける心。

こんにちは。

連休も前半戦が終わりました。

 

地元の友人は、みんなでパワースポットの

滝に行くそうです。

 

私は5月の中旬に、鑑定会で帰るので。

今回は泣く泣く行くのを諦めました。

 

が、先ほど電話があって。

山奥で迷子になっているかと思いきや

 

『ムニャ、無事に着いたからね〜』

 

少しでも、滝とゼロ磁場効果を

電波でお届けしてくれるという

粋なサプライズを受けました。

 

さてさて、先日いらして下さったお客様。

ご相談の内容が、とても印象的だったので。

今日は少しそんなお話をしたいと思います。

 

占いで最初にお客様に

『どんなことをお知りになりたいですか?』

と尋ねます。

 

多いのが、やはり恋愛や結婚。

あとは適職などの仕事のこと。

そして今後の流れや健康運が多いでしょうか。

 

ある程度、なんでもお知りになりたいことを

ひとまずお伺いして、鑑定に入るのですが。

いらして下さったお客様がおっしゃったのは

『正直、自分のことが好きになれない。

私、自分が嫌いなんです。』

とのことでした。

 

なんだかね、お話を聞いていて

少し切ないなと。

 

幼少期の家庭環境からして、

親に愛情を感じたことがない。

愛されて、大事にされた記憶もない。

 

だからあまり、自分を好きではないし

努力しても、好きになれないと。

 

おぉ、なかなか根深い問題だなと。

これはね、結構難しい問題ですね。

 

それを幼少期から、ずっと抱えて

今に至るわけですから。

 

そりゃ大変だし、苦しいですよね。

どうにかこうにかしたいものの、

自分では、どうにも出来ないというもどかしさ。

私もね、お客様のその気持ち。

とってもよくわかります。

 

親からの愛情って、シャンパンタワーのように

自分を満たしてもらって。

 

自分が満たされて、溢れ出た時に

周囲の人や自分の子供に

向かうものなんですよね。

 

親から満たされなかった人は、

それがしにくいのかもしれません。

 

親からは無条件に愛してもらえる。

当たり前のように見えて、

そうでない場合もあります。

 

親もね、結局人なんですよ。

親になったって、完璧な人はいないわけで。

 

どこかで足りなかったり、

欠けている部分がある人が

親になる場合もあります。

 

もちろんね、親から満たされるに

越したことはないかもしれません。

 

いらして下さったお客様も、

親以外にも、自分と向き合って

自分に愛情を向けてくれる人はいる。

 

それが分かった上で、

受け取るのが、怖いのだと。

 

ご結婚もされていて、妊娠適齢期。

結婚して数年経てば、子供も周囲から

期待されることでしょう。

 

それでも自分が子供を産んで

育てられるなんて、思ってないと。

 

お客様自身が、紫微斗数をお勉強されて

いらっしゃる方でした。

なので自分の命盤の状態は、

わかっていらっしゃる様です。

 

屋台骨となる命宮(自分自身)は

武曲に自化忌が付きます。

 

武曲自化忌って、正義感が強くなったり

『こうあるべき、こうするべき!』

それが人よりも強くなってしまうため

結果として、自分の首を絞めてしまったり。

 

自分の中でのこうあるべきという

物差しで計った時に、相手も同じ物差しであれば

問題ないんですけどね。

 

モラルや常識、概念なんてのは

最終的には、ひとそれぞれ。

 

自分がいくらそう思って

相手にぶつけてみても、

通じない人には、通じない。

 

むしろ人間関係や職場において

摩擦だけが生まれてしまい

結果、自分が消耗します。

 

こうするべきと思って、

相手にぶつけてみて、

相手をどうにかしようと思っても

それは、富士山を動かすくらい

難しいことなのかもしれません。

親だからこうあるべき。

子供だから、こうするべき。

 

強く願ったところで、

叶わない歯痒さ。

 

お客様はその間で、苦しんでいるんだと。

そんな風に感じたんです。

 

私もね、若い時はそう思ってました。

どうして自分の親は、こうなのか?

友人の親は、みんな親らしいのに。

 

無いものねだりしたって、

天から欲しいものは、降ってきません。

 

親に愛されなかったら、

他人や友人、異性にだって

愛されないかもしれないという不安。

 

私の場合は、幸いにも

他人様だけには、恵まれました。

 

自分の親がしてくれないことも、

友達の親がしてくれたり。

バイト先の人や、会社の先輩。

そして友人たちに恵まれて。

 

親でもしてくれないことを、

他人様がしてくれることへの感謝の気持ち。

 

いつかしてもらったことを

バトンのように、誰かにすることが出来たら。

 

それだけは、小さい頃から考えておりました。

だからきっと、今の仕事を続けられるのだと。

 

私の場合は、占いが好きというより、

人が好きだったり、その人の持つ

可能性を信じてみたかったり。

 

誰にも愛されず、誰からも期待されず。

何かを成し遂げたとて、認めてくれる人もいない。

 

そんな孤独を感じていらっしゃる

お客様もたくさんいます。

 

だったらね、ひとりくらい

自分の人生に、期待してくれる人が居たって

いいじゃないですか?

 

私はお客様の持つ可能性が、

占いを通じて、普通の人よりは

見えやすいポジションにいます。

 

自分なんて、どうせ…

そんなこと、言わないで下さい。

愛情をもらうことが怖い。

人を信じられないのなら。

 

自分が与えることを考えてみて下さい。

見返りや損得なしで、

相手にしてあげられること。

 

いらして下さったお客様は

武曲自化忌ぶこくじかきですからね。

 

武曲は礼儀礼節を重んじる星です。

親しき中にも礼儀あり。

 

菓子折り持参率は、14主星のなかでも

No. 1じゃないでしょうか?

 

場合によっては、それも必要です。

ですが、自分の真心や無償の愛で

相手に何かをしてあげたい。

 

そう思える場面が、いつかくると良いんですけどね。

もらうことよりも、実は与える喜びの方が

数十倍大きいです。

自分も他人も同じく等しいものですから。

自分を差し置いてまで、

必要以上に他人にやれとはいいません。

 

自分も大事にし、自分の気持ちを汲んだ上で

シャンパーンタワーから、溢れたものを

少しだけ人に分けられたら。

 

世の中はちょっぴり、素敵になると思います。

いつかね、このお客様も

向こうからやってくる自分と

出会い頭にぶつかって。

 

今の大人になった自分が、

幼少期の自分のことを

満たしてあげられる瞬間が来たのなら。

 

きっとその瞬間から、人生は変わるのだと。

夢猫ムニャ、信じております。

 

幸いにも、子供や生殖機能の子女宮と

自分自身の命宮で、化禄の大吉星を

双方で飛ばしている状態だったので。

 

自分の子供は、持たなかったとしても、

自分と同じ様な経験をしている子供達と

接する機会があれば、その子達を通じて

ものすごく得るものが、多いんじゃないかと。

 

悲し良い経験や、痛い思い。

胸を裂く様なトラウマ。

 

煮ても焼いても食えず、

一人で抱えて、腐らすだけならば。

 

きっとそれはいつか、だれかのためになる。

誰かの役に立った時、自分さえも報るれるのだと。

私もきっと、占い師にならなければ

そんな思いで、恨み辛みで

性根まで腐った人間になっていたと思います。

 

このお客様が抱える思いは、

かつての自分自身をみているようで。

 

自分が嫌いでも、憎らしくても

影のように、自分という存在からは

離れて生きられない。

 

それでも、ある瞬間から

探していた愛は、実は足元に

たくさん落ちていて。

 

ないと思っていたけれど、

自分が気が付かなかっただけなんだと。

そこから自分を大切にすることが出来ました。

ダメな自分も、出来ない自分もまた自分。

それも込みで愛おしい存在なんです。

 

世の中は、実は愛で溢れてて。

愛しか勝たんということ。

 

ここに気づいた28歳の夏。

そこから自分の運命が好転しました。

 

一番最初に得たものは、

自分と同じように、飼い主に粗末にされ

最後に捨てられてしまった猫です。

 

ですがこの猫から、大事なものを

たくさんいただきました。

 

猫なのに、溢れんばかりの愛情で

まるで我が子のように、私を大事にしてくれて。

 

私もその猫に、我が子のような

愛情を注ぎました。

それから周囲の人も、居て当たり前でもなく

常に自分のことを、大事にしてくれていることにも

気がつきましたね。

 

愛って空気みたいに、見えなくて。

愛情をプレゼントみたいに、

形や金額にすれば、見える化しやすいのでしょうが。

 

そうなると、また金額やら

内容で不平不満がでるのが人間です。

 

自分に差し向けてくれた思いにこそ

愛がギュッと詰まっているのだと。

 

ひとそれぞれ、それに気づくタイミングは

違います。

 

早い段階で気づく方もいらっしゃれば

一生かかっても、気が付かない人も

いるかもしれません。

 

いいんですよ、優劣じゃないのですから。

気づいたって、気づかなくたって。

 

自分のことを、好きになれれば良いですが。

自分をキライだから、ダメとか。

 

生きづらさはあっても、

生きていけないわけでもないですから。

 

でもね、それに気づくと、

きっと人生は間違えなく満たされて

豊かなものになるのだと。

 

自分のことをキライで仕方ないのなら。

それをなんとかしようとせずに、

キライな自分を受け入れること。

認めて受け入れて、受け止められたのなら。

きっとそのの向こうは、愛で満たされた世界が

広がっていると思います。

 

愛はきっと、もっと身近にあるもの。

欲しがるものでもなく、自分で多くの愛に

気がつくところから、すべては始まります。

 

*夢猫ムニャ*

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