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亡き祖父の時計の電池交換で、母の身に起きた不思議な体験。

こんにちは。

梅雨の晴れ間、心地よいですね。

夏至も近いし、茅の輪もくぐりたいし

あとね、上野で開催中のの古代メキシコ展。

これもすごく行きたくて。

メキシコってパワースポットや古代遺跡も

多いですからね。

ここの図録が欲しくって。

気持ちだけが焦る日々です。

さてさて、双子座の新月も迎え

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

双子座新月なのですが、夏至を迎えて

すぐに蟹座に切り替わるので。

なんだか不思議な感じもしますけどね。

そういえばですね、先週くらいかな?

ムニャ母に電話をして、話をしてたんです。

5月末に白内障用のサングラスを

母が作ってもらって。

その引き取りが完了し、なかなか良いと。

そこは時計が専門で、あとからメガネも扱うように

なったんですって。

親子2代か3代で、やられていらっしゃる

昔ながらのメガネ屋さんです。

今は破格のメガネチェーン店もありますが

若い人みたいに、ファッションで

メガネを何本も持つ人は良いのでしょうが。

母の年齢になると、痒い所に手が届く

個人の老舗のメガネやさんの方が

今後もお付き合いしやすいだろうなと。

私が地元で探して行ったお店でした。

サングラスの件でお伺いした時も

時計の電池交換のお客様が

ひっきりなしなんですよ。

母方の祖父が亡くなったのが2019年でした。

コロナの前だったので、みんな集まることができ

良いお葬式が出来たのですが、

母が形見分けとして、祖父の腕時計をもらったんです。

腕時計とったって、高級なものではなく

ホームセンターかどこかで3,000円程度で

売っているものだと思います。

最後は寝付くことが多くなり、家の中の移動も

車椅子になった祖父ですが

時計だけは必ずつけていたんですよね。

その時計を形見としてもらった母は

いつもベッドの枕元に置いて、大事にしていたんです。

でも電池が切れたままになっていました。

サングラスを作っている時に、

『あの時計、今度電池交換してもらったら?』

と何気なく母に伝えてみたんです。

店主の方も、『電池交換できますし

長期で使わないなら、電池を抜いた方が

時計が長持ちしますよ』

そうおっしゃって下さったんです。

翌週に出来上がったサングラスを

取りに行く際に、時計を持っていった母。

母は電池を抜いてもらうつもりで

店主にそう伝えたのだとか。

ですが数分後に、電池の入った状態で

時計が返ってきたそうです。

言い間違えなのか?

母の勘違いだったのかは、わかりません。

サングラスと、電池が入った時計を受け取り

車で帰路を急いでいると、運転中に

不思議なことが起きたそうなんです。

母は前置きをしながら

『アンタに話しても、絶対に笑うし

絶対信じないし、バカにする』と。

私も全く想像がつかなかったのですが

帰り道の車のなかで

何か玉のような、正体のわからないものが

胸の中にドンと入ってきた感覚があったのだとか。

私はそれを聞いて、母の期待通り

大笑いしてしまったんですよ。

母は少し怒りながら

『やっぱり笑うと思った』と。

私が笑ったのは、母をバカにしてではなく

母がそんなことを、感じ取れるようになったことに

驚いて笑ったんですね。

私自身は、こういう仕事をしているのもあって

物資など、この世が目に見えるものだけで

出来ているとは思っていません。

むしろ見えないモノの影響の方が

見えているものより、強いんじゃないかって。

そう思うんですよね。

母はこの数年、仕事が終わって

家にひとりでいる時間が、何より苦痛だったそうです。

コロナで私も帰れないのもあったのですが、

子供2人は、東京に出てしまい

長生きしても、そこに何かを見出すわけでもなく

とにかく迷惑をかけず、早く死にたいと。

そんなことばかりを、2、3年考えていたのだとか。

それが祖父の時計が、動き出した瞬間に

自分の中に何かが入ってきた感じがあって

そこからは、すごくポジティブになったそうです。

時計もきっと、人の人生と同じなんですよね。

時計の電池なんて、いつ止まるかわかりません。

止まった時が、その時なんでしょう。

母はどこか生き急ぎ、人生の時計の針が

早く止まることを、願っていたのだと思います。

ですが、人生の時計の針はいつか止まるんですよ。

生まれたら死ぬのは、人間の定めですからね。

人生も時計も、そっと針が止まるまで。

その日まで生き続けるのですよ。

自分の人生を、全うするんですよ。

走る時もあれば、止まる時だってあるでしょう。

ゆっくりだっていいんです。

『死にたい、早く死にたい』

人生の時計の針が止まる瞬間ばかり

考えていたって、いつか止まるのですから。

だったら時計が動いているうちは

やれることをやってみたら、いかがでしょうか?

当たり前の日々に不満だらけだって、

何かを患ってしまえば、そんな生活さえも

出来なくなっちゃいます。

どの人もね、必ずいつか死ぬんですから。

だからこそ必死で生きるんです。

死んじゃうからこそ、やりたいことやり

食べたい物を食べて、行きたいところに行き

会いたい人に会いに行ってみてくださいよ。

人生は理屈じゃないし、思考に阻まれて

不安や孤独、寂しくなっちゃったら

もったいないです。

いつか死ぬ日がくるのなら、

今からやってみたらいいでしょう。

毎日に強いられて、縛られて。

生きる意味さえ見失ってしまって。

ありのままでいいんだよ〜

って言ったって、ありのままの自分さえ分からず

分かったところで、自分らしくなんて生きられない。

みんな生きにくいんですよ。

変化のない単調な毎日のなかに、

少しだけ夢をみること。

ちょっとだけ、楽しみを見出してみること。

年齢がどうとか。

こんな自分じゃ出来ないとか。

やってみてから、判断しても良いじゃないですか?

自分を責めて、考えるのは孤独な老後。

想像するのは、死ぬ間際の自分の姿ばかり。

私も40代にして

時々そんなことを考えるようになりました。

人生って儚いですね。

でも待ってるだけじゃ、何も起きないし

誰も楽しみは与えてくれません。

今見ている現実は、セピア色にも見えれば

眩いばかりの光あふれる世界にも感じられます。

それは自分の心次第だということ。

苦しくたって、生きていたら何とかなるもんです。

今起きていることでさえ、何年後かには

笑える自分がいるでしょう。

理不尽な相手にさえ、いつかきっと

今抱える怒りと同じくらい、

その出来事に感謝できる時がきますから。

人生は、そんな悪いことばかりじゃないはずです。

人生の時計の針が止まるその日まで

ぜひたくさんのことを経験してみてくださいね。

ではでは〜☆

*夢猫ムニャ*

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